Essays

能と舞踏における「花」と「華」−1

by MIRO ITO (伊藤みろ)

東大寺 修二会との出合い

能と舞踏は「花」と「華」なのではないか。そのことに気づかせてくれたのは、東大寺の「お水取り」として知られる修二会(しゅにえ)(1) である。

東大寺の修二会は、奈良時代(752年)に始められて以来、一度も途絶えることなく行われ、現存する世界でおそらく最も古い宗教儀式の一つと考えられる。仏と神々、祈りと、過去と未来、火と水が交差する1300年近い歴史を持つ古儀だ。

本尊は〝絶対秘仏〟とされる十一の顔をもつ二つの観音像(大観音・小観音)だ。行事を象徴する火は、人間の罪禍を焼きつくして浄化し、水は生命と霊力の源といえよう。

修二会の行法で、最も大切な要素が「悔過」である。11人の「練行衆」と呼ばれる僧侶が毎年3月1日から14日までの本行の間、連日連夜、東大寺の二月堂に参籠し、万民の罪を祈り浄めながら、春の到来という、いのちの再生を祝福する。まさに雄大かつ豊穣な〝共栄と共存のヴィジョン〟が繰り広げられる。

東大寺の修二会は、万民のためのを集団で行う、世界的にも珍しい修行体系ともいわれるが、その修行における神秘的な祈祷や所作の数々には、アジアのさまざまな地域の影響が偲ばれる。同時に、仏教、修験道、神道の信仰のかたちと結びついてきた、日本の芸能の源流をもそこに辿ることができる。

とりわけ3月12日に行われる「お水取り」 行事以降の三日間、火天(かてん)と水天の間で繰り広げられる「達陀(だったん)」の行法には、のシルクロード由来の祭礼の影響がうかがえる。

達陀の行法では、鈴の音を合図に、まず達陀帽を被った八天役の8人の僧侶が、二月堂内陣の須弥壇の周りを駆け巡る。「火天、水天、芥子(けし)、楊枝(ようじ)、大刀(だいとう)、鈴、錫杖(しゃくじょう)、法螺」の八天はそれぞれの呪物の威力で場を清め、加持をする(1)。続いて松明を持った火天役と、洒水器を持った水天役が対になって掛け合う。火天が跳ねながら燃え上がる松明を礼堂(らいどう)へ突き出しては引き、火の粉が舞い上がる度に、水天役の方は左手に洒水器、右手に散杖を持って、火天と向き合って躍動する。法螺貝、鈴、錫杖の音に合わせて、10回ほど行われるこの跳躍の所作には、多分に芸能的な要素が見受けられる。

呪文を唱えて印を結ぶ咒師(しゅし)役の僧侶の祈祷や、須弥壇の周りを走っては礼堂に出て五体投地を行う「走りの行法」などは、古代からの修二会における伝承の一方で、行法の枠を出ていき、時代を経て「咒師走り」となり、芸能化されていった。平安から鎌倉時代にかけて、能楽の前身である猿楽師が咒師の所作を代行するようになり、咒師猿楽の芸となった。

鎌倉時代中期以降には、「咒師走り」は、翁猿楽や追儺(ついな・鬼追い式)での芸ともなった。
その後、室町時代になると、世阿弥によって、演劇にまで高められた猿楽能に発展し、能楽として大成した。

1  掘池春峰他『東大寺 お水取り——二月堂修二会の記録と研究』(小学館、1996年)
(※当エッセイは、2023年1月30日発刊の写真集『隠し身のしるし』に収録されています。)

写真: 能「絵馬」 シテ方観世流能楽師 武田友志 (Photo by Miro Ito)
写真集『隠し身のしるし Signs of the Intangible』は、日本の1400年の”心体文化”の歴史を独自の視点で紹介すべく、飛鳥時代に伝来した伎楽面と舞楽面、900年の時を隔てた能楽と前衛舞踏を経て現代に至る、日本の祈りと奉納、神々との和楽や、仏教による懺悔と救済が交差する伝統を焙り出す。世界に向けた展覧会の図録を兼ね、新作や未発表を含む85点を収録。

※写真集『隠し身のしるし Signs of the Intangible』(2023年1月30日発刊)のご購入は
「BOUTIQUE」ページへ。