Essays

身体という華 − 1

by MIRO ITO (伊藤みろ)

 

1990年代初めより、前衛舞踏家たちを撮り始めた。舞踏とは「Butoh」と表記した方がいいほどに世界で認知された、日本の前衛身体芸術である。
その原点とされる「暗黒舞踏」は、1959年に土方巽が上演した『禁色』(原作:三島由紀夫)に始まる。土方巽(1928-1986)と大野一雄(1906〜2010)の表現が出会ったことで、日本独自のオリジナルな身体芸術のかたちである「Butoh」が生まれた。

型にはまったダンスのあり方を否定する点で、舞踏は、ドイツのノイエタンツ(Neuer künstlerischer Tanz、新舞踊運動) の目指した到達点といいうる。
ノイエタンツは、20世紀初頭の身体芸術における表現主義(Expressionism)運動のことで、「舞踏の魂」大野一雄(1)が影響を受けた。

生前の大野の世界的な活躍を思うと、大野の舞踏とは、〝純粋に日本的なものではなく、西洋の表現主義舞踊の素地の上に作り上げられたからこそ、世界で圧倒的な支持を集めることになった〟(2)のだろうか。
「Butoh」には、東西の身体表現の出合いが暗喩として秘められているのだ。

「舞踏の建築家」(3)とされる土方巽の方は、ノイエタンツを学んだ後、1949年に大野一雄の公演を鑑賞して衝撃を受けた。その後モダンダンサーとして舞台に立ち、アメリカのジャズダンスやクラッシックバレエにも触れた後に、出身地の秋田の記憶を元に、西洋の模倣ではない日本的な舞踊の形を作り上げた。60年代には、農作業の田植えの動きを原型に、白塗りされた体全体の重心を低く屈め、捻っては丸め、這っては転がるような、独自の動きと所作を編み出した。

その土方の演出で初演された、大野一雄のソロ公演「ラ・アルヘンチーナ頌」(1977年)は、今日も舞踏を代表する作品である。

実在するラ・アルヘンティーナ(1980-1936)(4)は、カスタネットを使ったスペインの伝統舞踊を復興させて、世界的な評価を得た舞踊家である。大野が1929年に彼女の舞台を東京で観た経験から、彼女へのオマージュとして生み出された公演「ラ・アルヘンチーナ頌」は、1994年までに全世界で119回の公演が行われ、世界のダンス史における歴史的な業績の一つとして位置付けられている。

そして土方に学んだ舞踏家には、麿赤兒(大駱駝艦)、天児牛大(山海塾)、室伏鴻、玉野黄市(ハルピン派)らがおり、80年代以降、舞踏は国際的に高い評価を受けるようになった。

身体の内奥の宇宙

ヴェネチア・ビエンナーレ・ダンス部門(2006年)の公式イメージとなった、室伏鴻と私のコラボレーション「Quick Silver」は、「水銀」がテーマであった。

古来、〝永遠のいのち〟を哲学の探究としてではなく、実践的に目指したのは東洋の神仙思想だ。水銀は、硫化水銀やヒ素を基にして作られた、不老不死を求めた丹薬と結びついている。日本の「木乃伊(ミイラ)」である「即身成仏」にも使われたといわれる。

 

1,3   Jean Viala “Butoh– Shades of Darkness” (Turtle Publishing), 1988
2  森山明子の談話より
4  原語綴りは「La Argentina」であるため、公演名としてではなく、実在の人物として語るときは「ラ・アルヘンティーナ」の表記が一般的である。
(※当エッセイは、2021年10月発刊予定の写真集『隠し身のしるし』に収録予定です。)

2006年ヴェネチア・ビエンナーレダンス部門公式イメージに室伏鴻との共作「水銀」が選ばれた (Photo by Miro Ito)

写真集『隠し身のしるし Signs of the Intangible』は、日本の1400年の”心体文化”の歴史を独自の視点で紹介すべく、1400年以上前に伝来した伎楽面と舞楽面、中世に大成した能楽、そして前衛舞踏に至る、日本の祈りと奉納、懺悔と救済が交差する「心体景観」を焙り出す。世界に向けた展覧会の図録を兼ね、新作や未発表を含む85点を収録。

※電子版・印刷版(2021年10月発刊予定)は、先行予約を受付中。
お申し込みは「BOUTIQUE」ページへ。