地球のいのちを想い、自然の叡智に向かう
この1年あまりの間、世界の多くの国々で報じられてきた言葉を失う惨状を、深まる悲しみともに切り抜けながら、新しい時代が始まりました。
コロナウィルス感染の災禍とともに、一人一人の自粛への自覚が求め荒れるつつある今、これを乗り越えることができた暁には、「BC(Before Corona) 」「AC (After Corona) 」といわれる世紀の大転換が起こりつつあります。
かつて疫病による人口激減が賃金上昇を引き起こし、労働の機械化が一気に進行した産業革命後のヨーロッパのように、コロナ感染拡大によって、これまでの生活の変化を余儀なくされ、労働のIT化やAI化への変革が後押しされつつあります。
一方、人同士の距離感の拡大によって、排他的風潮と疎外感が広がり、世界の分断化だけではなく、信頼と協調に基づく社会生活、ひいてはヒューマニティと人権への挑戦となっています。
蓮華座
さて、仏陀の悟りの姿である仏像は、両足または片足の甲を反対側の腿の上に乗せる姿勢(結跏趺坐または半跏趺坐)で座っています。
不自由でありながらも、もっとも身体を安定させるため、禅の修行法として、蓮華座とも呼ばれます。
仏陀は、世界そのものを、”蓮華の荘厳”に喩えました。また宇宙を一輪の蓮華の上に立ち現れる世界(小宇宙)の無数の集合体(大宇宙)として表し、さらにその大宇宙が無数に点在する教えを説いています。この光景は、奈良・東大寺大仏さまの蓮弁に「蓮華蔵世界」として1300年前に刻まれました。
有限の中で無限に目覚める
外出自粛という自由な行動が阻まれる中で、瞑想をして心の安静を保つ乗り越え方があります。
蓮華座を組んで静かに座ると、有限な身体の制約の中で、心が無限に開かれていくことが感じられます。
無際限の宇宙に向かって自我を解き放つことで、自分がなぜこの世に存在するのか、何をしなければいけないのか、どこに向かいつつあるのか、真実を求めていく限り、いつしか答えも自ずと立ち上ってくることでしょうか…。
その先に開かれてくるのは、すべてが絶え間なく流転するという自然の本性であり、私たち自身も宇宙の一部である、という気づきです。
すべてが相互につながり合い、支えあっている宇宙こそが、私たちの存在の本源的なものであることに目覚め、”地球といういのち”を守るために、ひとりひとりの行動が変わる新たな機運が、これまで以上に高まることが願われるばかりです。
「効率優先」のこれまでのグローバル化へ逆戻りするのではなく、「いのち優先」のグローバル化の始まりを祝福するものであってほしい、と願われるところです。
人のいのちとともに、大元である地球のいのちを守りながら、自然の智恵によって清められる新しい時代の開花を願いながら…
「本物の日本遺産イニシアティブ」
MIRO ITO (伊藤みろ)
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